おはようございます。
弁理士の渡部です。
音楽教室での演奏に対しJASRACが著作権料を徴収することを検討している件について、今朝、読売新聞の社説を拝見しました。
ヤマハ音楽振興会や河合楽器製作所などの団体・企業は、反発を強める。「音楽教育を守る会」を結成し、ネットに公開質問状を掲載するなど、反対運動を展開している。
音楽教室側は、指導のための演奏は、聞かせることを目的にしたものではないと訴える。既に楽譜代などの著作権料は支払っているとも主張する。
演奏権は、公衆に聞かせることを目的として楽曲を演奏する場合は、著作権者の許諾を得なければならないという内容になっています。
ここでポイントとなるのが「公衆に聞かせることを目的」という点です。
音楽教室の主張は、音楽教室での演奏は「公衆に聞かせることを目的」には該当しないというものです。
http://music-growth.org/common/pdf/17020301.pdf
先のブログ「JASRACの著作権料徴収『権利内で戦うか権利外で戦うか』」では、音楽教室が権利範囲外のフィールドで戦うか、権利内のフィールドで戦うかについてお話ししました。
音楽教室の上記主張では、まずは権利範囲外のフィールドで戦うということになります。
「公衆に聞かせることを目的」の考え方については、著作権法逐条講義という本で詳しく説明されているので紹介します。
引用:著作権法逐条講義(p182,p183)
「目的として」ということについては、これは目的意志があればよろしいということですから、理屈だけで申しますと、例えばコンサートを開催したけれどもお客が1人も来ないといった無人の演奏会であっても、「公」に該当します。通行人に聴かせるために街頭でヴァイオリンやアコーディオンを弾いて、お客が誰も通りかからなかったとしても、公に演奏していることには違いないのであります。
それとの対比で申しますと、例えば風呂の中で1人で歌曲を歌って、大きな声のために外の通行人に聞こえたとしても、それは公衆に聞かせることを目的とはしていないという概念構成であります。
演奏を聞かせる相手を決め、その相手が実際に聞くかどうかはともかく、その相手に聞かせようとして演奏することが「公衆に聞かせることを目的」に該当するといっています。
これに該当しないのは、意図せず偶然聞かれてしまったような場合ということです。
これを考えると、音楽教室での演奏は、意図せず生徒に偶然聴かれてしまったということにはならないので、言葉どおりに捉えれば、「公衆に聞かせることを目的」に該当しないというのは難しい主張です。
一方で、音楽教室での演奏には、A)生徒に聞かせる目的のほかに、B)生徒を指導する目的など複数の目的があります。
Aの目的とBの目的を比べると、Bの目的の方が主要であるから、音楽教室での演奏は、Bを目的とするものであってAを目的とするものではない、という趣旨なのかもしれません。
ですが、Aも目的としてもいるのに、他の目的が主要であるからAを目的としないという主張が通ってしまっては、法律を予め作っておく意味が失われてしまいます。
私たちは、法律に書かれている言葉を読んで、いい悪いを判断し行動します。法律に書かれている言葉が言葉どおりの意味を持たず、その状況に応じて解釈を行わなければならないとすれば、法律を読んでも結局何がいいか悪いか分かりません。
ですから、法律の言葉どおりに解釈するということを原則にして、言葉どおり解釈したときに著しく不合理が生じる場合は例外的に(裁判所が)解釈を加えるという手順にしなければ、安心した社会にならないのです。
音楽教室側は、2003年から協議を続けてきたが、決裂した場合には訴訟も辞さないとのことです。
JASRAC側も、音楽教室の上記主張がスタンダードになっては著作権者からお叱りを受けてしまいますから、受け入れるのは難しいでしょう。
やはり戦いは法廷の場で決着ということになるのでしょうか。
今後の動向が注目されます。
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